大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和44年(あ)446号 決定

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人らの各弁護人小池通雄、同塙悟、同山根晃の上告趣意について。

第一点は、憲法二八条の解釈適用の誤りをいうが、実質は単なる法令違反の主張であって、適法な上告理由にあたらない。

第二点は、単なる法令違反の主張であり、第三点は、事実誤認の主張であって、いずれも適法な上告理由にあたらない。

原判決は、被告人らは都民交通株式会社の運転手によって組織する都民交通労働組合の副執行委員長などの幹部であるところ、同組合は、かねての組合決議により、昭和三九年一月三一日午前八時ごろストライキに入ったが、その際、会社側によるタクシー車両の搬出を阻止するため、組合決議による争議手段として、会社所有車両のうち被告人ら組合員の乗務していた全ての車両および非組合員の乗務していた一部の車両の自動車検査証(以下単に車検という。)およびエンジンキー(以下単にキーという。)を被告人ら組合幹部において保管するにいたったこと、同日午後二時すぎごろ、ストライキを打ち切って稼働の目的で出庫するため、会社側に対し運転日報の交付を求めたところ、会社社長十河京一は、右のごとく組合において保管抑留している車検およびキーを会社側に返還し平常の状態に復したならば運転日報を交付し稼働させる旨主張してそれらの返還を求めたこと、これに対し被告人らは、その附近にいた組合員多数とともに「仕事に出せ」「日報を出せ」などと喧騒して当時組合において抑留していた車検およびキーの返還を拒絶し、さらにその際、被告人柏木が、会社事務所内の車検等保管箱にあった車検およびキーを見つけ、被告人真井、同鶴見、同三浦において、社長の前に立ち塞がり押し戻すなどしてその抵抗を排除し、被告人柏木において車検三通、キー三個を奪取し、結局合計三五通の車検および二九個のキーを組合において抑留を続け、当該自動車の運行を妨げて会社の業務を妨害したこと、翌二月一日被告人らは組合大会を開いて協議した結果、このまま推移すれば、今後会社側で車両ことにプロパン車を他に搬出されるおそれがあるとの判断のもとに、その車輪を取りはずしてこれを阻止することになり、同日午前および午後の二回にわたり、プロパン車の一部を移動して他のプロパン車の前に横づけにし、またプロパン車の一両をピット上に置き、これらの車両の車輪を取りはずしてそのナットをかくすなどし、これら車輪を取りはずされた八台およびこれらの車で封じ込められた四台の合計一二台の車両の移動、出庫、洗車、整備等車両の管理に必要な措置を事実上不能にならしめたことなどの事実を認定し、車検およびキーの返還を拒絶しあるいは奪取してこれらの抑留を続けた行為を威力業務妨害罪に、車輪を取りはずすなどした行為を暴力行為等処罰に関する法律違反の罪に問擬した。

いうまでもなく、労働組合の争議行為であっても、それが暴力の行使を伴うなど相当の範囲を超えるものはその違法性を阻却するものではなく、そのことは、当裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決刑集二〇巻八号九〇一頁等累次の判例の明らかにするところである。本件についてこれをみると、被告人柏木らによる車検およびキーの奪取は、まさに同被告人ら複数の者の暴力によるものであり、また多衆共同して車両の車輪を取りはずす行為は、暴力の行使にも比すべき実力によって、一般旅客自動車運送事業を営む会社にとり最も重要な自動車を毀損したものであるから、これらを正当な争議行為であるということができないことは明らかである。また、車検およびキーは、元来会社の所有でその管理に帰すべきものであり、会社の業務の根幹たる自動車の運行に不可欠なものであるが、被告人らが返還を拒絶した車検等の中には、被告人ら組合員の乗務する車両のもののみではなく、本件争議に参加していない非組合員の乗務する車両のものを含むものであり、しかも被告人ら組合員は、その抑留にかかる車検等によって稼働しながら、非組合員のものについてはその抑留を継続してこれが運行を妨害することを企図したものであるから、かかる行為は、正当な争議行為の範囲をこえた会社財産に対する不当な侵害といわなければならない。しかも会社社長の返還要求に対し、被告人ら多数の者が「仕事に出せ」「日報を渡せ」などと喧騒し人の意思を制圧する勢力を示してこれを拒絶したものであるから、合計三五通の車検および二九個のキーの抑留行為は威力業務妨害罪を、また車輪を取りはずすなどした前記の行為は暴力行為等処罰に関する法律違反の罪を構成するものといわなければならない。してみるとこれと同趣旨に出た原審の判断は、正当なものとして是認すべきものである。

また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官色川幸太郎の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

裁判官色川幸太郎の意見は次のとおりである。

私は、原判決が、一審判決に追加して、罪となるべき事実として認定した、原判決別紙一覧表1ないし22の車検とキー(以下単に本件車検等とする。)の返還拒絶の行為は、無罪であると考える(なお、右の車検等は、被告人らの労働組合に所属し当時争議に参加していた組合員らが、日常供用していたものである。)。

原判決ならびにその引用する一審判決の認定するところによれば、被告人らの組合が昭和三九年一月三一日午後会社に対しスト中止の通告をなし就労の申出でをしたが、社長は、被告人ら組合三役その他に対し、組合側が抑留していた本件車検等及びその他の車検とキーの返還を求め、いったん会社にそれを返還しなければ出庫(すなわち就労)を認めないとして、組合の申出でを拒否したところ、被告人らは、多数の組合員とその場で互に意思相通じ、くちぐちに「仕事に出せ」「日報を出せ」などと喧騒し同社長に威圧を加え、右返還請求に応ぜず、抑留を継続したというのであり、原判決は、車検とキーの抑留は自動車そのものの抑留と異ならないという前提に立ち、右の所為をもって、生産手段を自己の管理下におき操業を不能ならしめたものであり、かくのごとき「争議手段」は「争議行為の本質に反し」不法なものと認むべきであるが故に、右の抑留行為自体が刑法二三四条にいわゆる威圧を用いて会社の業務を妨害したものと判断した。

これによって見るに、原判決は、右の抑留行為は、争議手段ではあっても「争議行為」ではないとしているのであるか、それとも、争議行為とよび得るものではあっても、争議行為の本質に反するが故に、その余の検討をまたずして不法であることが自明だ、としているのであるか、いささか曖昧である。もっとも、争議のための闘争手段である以上、評価は別として、すべて争議行為とよばるべきものであるから(後述参照)、原判決が、敢て独自の用語例を採って、争議行為と争議手段とを峻別したものとは考えられず、結局、本件の争議手段即ち争議行為をもって不法であるとする理由は、一にこれを争議行為の本質との関連において求めたものと解して妨げないであろう。それにしても原判決が「争議行為の本質」を那辺に求めているのか、実は一向に明らかではないのであるが、生産手段を組合が管理し、操業を不能ならしめたと非難しているところに徴すると、争議行為とは、労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行であるにとどまり、およそ使用者の意思を抑圧しその操業を妨げるごとき積極的加害行為は争議権の行使と見るべきではない、という見解に立脚しているものではないかと思われる。当裁判所も、古くは屡次にわたり、同盟罷業の「本質は労働者が労働契約上負担する労務不履行に」あるとしていた(昭和二五年一一月一五日大法廷判決刑集四巻一一号二二五七頁、昭和二七年一〇月二二日大法廷判決民集六巻九号八五七頁、昭和三三年五月二八日大法廷判決刑集一二巻八号一六九四頁等)。しかしながら、同盟罷業は、争議行為の一態様にしかすぎないのである。労働争議に際し、労働組合の統制下に労働力の売り止めをするのが典型的な同盟罷業であり、これは、最も普遍的かつ基本的な争議行為ではあるが、およそ労働争議は極めて流動的多面的であるから、争議における労働組合の闘争手段もまた、いつでも同盟罷業一本にしぼられるというわけでは決してない。特に争議の解決が永びき、膠着状態に陥いるに及んだときは、むしろ必然的に、同盟罷業の線を乗り越えた多種多様な争議手段を伴うことになるのである。これらの争議手段が単なる労務不履行でないことはもとより明らかである。しかしそれだからといって、これに対し常に否定的評価が与えられなければならないものであろうか。もとより否である。

ところで、同盟罷業が集団による労務の不履行であることは異論のないところである。労務不履行が個々の労働者によってなされた場合、少くとも刑事上、違法の問題を生じないことはいうまでもないが、それが集団的になされたとしても、一般的には、まったく同様であろう。けだし、同盟罷業は、集団的な、職場からのいわゆるウォーク・アウトであるから、本来、平和的、消極的な不作為であるにとどまるからである。それであるから民事上、違法と目される余地こそあれ、刑事上、これを違法とすべき可能性はほとんど絶無に近く、その適法であることはあまりにも当然のことに属する。したがって、およそ正当な争議行為とは同盟罷業に限られ、労務不履行の枠からはみ出た、その余の争議行為はすべて不法だ、とするならば、労組法一条二項はほとんど無意味な規定となるのである。のみならず、憲法二八条による争議権の保障もその実効性を著しく弱めることになりかねないであろう。

そもそも、争議権との関連における争議行為とは、何であろうか。実定法上における争議行為の意味についてのわたくしの見解は、最高裁判所昭和四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号六八五頁)に付した反対意見において詳しく述べたので、それを引用することにするが、要するに、労働者の争議行為とは(イ)労働関係の当事者の(ロ)その主張を貫徹する手段としてなされる行為であって(ハ)その態様が使用者の正常な業務の運営を阻害するものをさすのである。端的にいえば、使用者に対する業務阻害が、争議行為の本質的内容の、少なくとも一部なのであって、それにもかかわらず、かかる行為の一定限度内のものが、逆に、法による保障(民・刑事の免責及び不当労働行為制度による保護)を受けるところに、争議権の特殊な性格を見ることができるのである。

以上述べたごとく、使用者の正常な業務の運営を阻害するところに争議行為の本質があるとするならば、実定法上、争議行為とよび得るものであるかぎり、手段や程度は各種各様であっても、多かれ少なかれ、使用者の自由な意思を抑圧するばかりでなく、時としては使用者の生産手段に対する支配を控制ないし排除し、結局、使用者の操業を妨害することになるわけである。この点から見れば、およそ争議行為は、民事上ないし刑事上、常に違法の契機を孕んでいるといっても過言ではない。しかしながら、経済上劣位にたつ労働者に対し、人たるに値する生活をなさしめるためには、その団結権を保障し、団体交渉や争議行為等の団体行動を容認しなければならないのであり、憲法二八条は、まさにその趣旨を明らかにしたものと解すべきであって、使用者の有するもろもろの自由と権利、特に何ぴとにも妨げられることなく操業をなし得るの自由は、労働者にいわゆる労働三権が保障される度合に応じて、後退を余儀なくされているわけである。それゆえに、争議行為が使用者の自由ないし権利を侵すことがあっても、これこそが争議行為の争議行為たる所以であって、やむを得ないところなのである。もっともこれは争議行為による侵害がすべて是認せられるということまでも意味するわけではない。争議権が絶対的優位にたつものでないのはもちろんである。争議権は使用者の人権との調和点にその限界を有するのである(昭和二五年一一月一五日大法廷判決刑集四巻一一号二二五七頁)。その限界の判断、すなわち、争議行為に対する法律上の価値評価は、その目的と手段、方法の二面においてなさるべきであるが、目的が不当であればもとよりのこと、それが正当であっても、手段において常軌を越えるものであるときは、その程度、態様に応じ、民事上又は刑事上、もしくは民刑事上とも違法となるのを免れないのである(行為の違法性が法域によって異なるものであることについては、当裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決刑集二〇巻八号九〇一頁に付せられた松田裁判官の補足意見に同調するものである。ここにそれを引用する。)。

組合による本件車検等の抑留継続は、労使間の紛議における組合側の主張貫徹のためにとられた行為であり、前述の意味において争議行為であることは明らかであるところ、争議の経過に徴すると、その目的において特に不当と認められる関係にはないから、問題は、その手段がはたして刑事上違法であるかどうかにかかるわけである。冒頭に引用した原判決の認定によると、被告人らは「多数の組合員」とともに、口ぐちに「仕事に出せ」などと「喧騒して同社長に威圧を加え」たというのであるが、「多数」とはどの位の人数であるのか判文上全く不明であり、「喧騒」がいかなる程度であったのかについても何ら明らかにされていない。およそ労働争議においては、労働者の全生活と会社の命運とをかけて角逐、抗争が行われるのであるから、時として緊迫した空気を醸することは避けられないところであり、争議中の交渉において、多数の組合員がつめかけひしめきあい、使用者側にわめきたてるような騒ぎがあっても、とりたてて異とするにはあたらないのである。その点を思いあわせると、被告人らの前記の行為をもって、刑法二三四条にいう「威力」であるとすることに、そもそも多大の疑問が存在する。しかし、仮に、右の所為が威力業務妨害罪の構成要件を充足しているとしても、労組法一条二項を念頭におき、違法性の有無と程度についての慎重な検討をなすべきであるにかかわらず、原判決中この点に関し、十分な考慮をも払った形跡のないことは遺憾とせざるを得ない。既に当裁判所は「労働争議に際し、使用者側の遂行しようとする業務行為を阻止するため」の「労働者側の威力の行使の手段」が「諸般の事情から見て正当な範囲を逸脱したと認められるときは」威力業務妨害罪が成立すると判示(昭和三三年五月二八日大法廷判決刑集一二巻八号一六九四頁)し、諸般の事情が明らかにせらるべきことを当然の前提としているのであり、なお、いわゆる三友炭鉱事件においては、罷業反対派の開始した就業を阻止するため多数の組合員とともに炭車の進路にたちふさがり怒号してその運転を妨害した被告人につき、「いまだ違法に」「威力を用いて人の業務を妨害したものというに足り」ないとして、原審の無罪判決を容認しているのである(昭和三一年一二月一一日第三小法廷判決刑集一〇巻一二号一六〇五頁)。本件車検等の抑留継続の行為は、なるほど会社の業務を阻害したことは事実であるが、会社経営の根幹を動揺せしめたものでないことはもとより、記録によれば、組合側のスト中止の通告と就労の申出では真摯誠実であって、何らかためにする策略とは考えられないこと、会社側は、就労すれば各運転手が当然携行することになる本件車検等を、恐らくは社長独自の大義名分観ないし面目にこだわって、一たん、ともかくも会社に返還すべきことを強く求めてやまなかったものであることなどの事情が窺われないわけでなく、そうだとすれば被告人らの本件車検等の抑留継続行為は、いまだ、労働組合の正当な行為の範囲を逸脱するものではないから違法性を阻却するものというべく、したがって本件の所為は罪とならないものと解すべきである。原判決には、この点において、法律の解釈適用を誤まった違法があるといわなければならない。

しかしながら、その余の諸点については、私も、原判決を是認すべきであると考えるのであって、前記の違法があっても、いまだもって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められないから、結論においては多数意見に同調する次第である。

(裁判長裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例